誰でもアイアンマンになれる 会長 山本伸子

平凡な一人の主婦がハワイアイアンマンに挑戦するまでの歴史
 昭和27年 石川県輪島市に生まれる
 昭和49年 金沢大学薬学部卒業
 昭和50年 上京して結婚
 昭和51年 長女出産
 昭和53年 次女出産
 昭和55年 三女出産
 昭和59年 薬剤師として働き始める 水泳を習い始める
 昭和61年 ランニング開始
 平成1年 バイク購入 初トライアスロン 日産カップ 3:8:41
 平成2年 初マラソン 河口湖 4:42:04
 平成3年 大島大会で最初で最後のリタイヤ 
 平成4年 初ミドルトライアスロン 佐渡B 8:2:37
 平成8年 初ロングトライアスロン 宮古島 13:30:05
 平成14年 初ウルトラマラソン 富士五湖100km 11:46:17
 平成14年 初アイアンマン カナダ 13:53:23
 平成16年 初アイアンマンハワイ 16:33:50
 平成17年 アイアンマンジャパン 13:10:24 自己ベスト
 平成17年 アイアンマンハワイ 13:29:32 自己ベスト 
 平成18年 サロマ湖100kmマラソン 11:15:00 自己ベスト
 平成22年 東京マラソン 3:40:03 自己ベスト

奥能登の小さな町で少女時代を過ごした私は、両目の視力がビッコだったのと、不器用だったので、球技は苦手、足は遅い・・と体育は苦手でした。
だから部活も文化部で、中学から大学まで運動とは無縁の生活でした。
大学を卒業して薬剤師の資格を取りましたが、すぐに結婚。
20代は、3人の娘を産んで育てるので目いっぱいでした。
32歳で、薬剤師として働き始めた時、狭い調剤室で熊のようにうろうろする生活にうんざりして、近くのプールで泳ぎ始めました。
小さい時から海で平泳ぎは、泳げたのですが、クロールは初めて習いました。
34歳の時、汗をかけば健康になれると思って、家の近くを2・3キロ走ることからランニングを始めました。
やっと10キロくらい走れるようになった2年後、自転車に乗ればトライアスロンになると思って、バイクを購入。
お店の人に勧められて始めて出たのが追浜の汚い海に泳いだ日産カップ・・・3時間8分でゴールした時は、「結構やるね!」と自分に自信が持てました。
まだまだ子供も小さく、体力も、時間も、財力もなかったので年に1.2回の小さな大会に出るのが精いっぱいでしたが、フルマラソンにも挑戦し少しずつ走る楽しさを覚えていきました。

家族の協力もあって、佐渡でミドルを、宮古島でロングを完走してからの初アイアンマンは50歳の時のカナダです。
成人した娘2人をつれてバイクを持っての参戦でどんどん力強くなっていく自分を実感していきました。
ゴールした時の私を見ての娘の感想・・「あんなに無邪気に嬉しそうな顔は初めて見た・・・子供のようだね。」
2年後のジャパンでエイジ3人中唯一の完走者で不戦勝のようにハワイの挑戦権を取りました。
ジャパンは、コースも制限時間も厳しいので、宮古島に出る方たちも敬遠しているようです。
初めてのハワイは、風がひどくて散々でした。世界中のトップトライアスリートが集う頂点の大会ですが、非力な日本人が挑戦するには過酷です。
荒涼たる溶岩台地を吹き付ける向かい風と戦いながらバイクを走らせるのは大変なんてものじゃありません。飛ばされそうでした。
やっと折り返したら風が代わってまた向かい風「うそでしょう。」その中でも70歳を超える高齢の方や、義足の障害者、体の不自由な息子をバイクに同乗させているホィトニー親子の姿を見て、これこそアイアンマンだと思いました。
ハワイでは、最後になればなるほど声援が多く「You are Ironman」の大合唱です。痙攣する脚を引きずってゴールに向かう私も、世界中の方から後押しされました。

トライアスロンの魅力は、何といっても3種類を続けることの1点に尽きます。
どの競技も特別速くなくても得意種目があればかなり楽しめます。
3種目練習するのは3倍大変でしょうと言われますが、ランだけの人のように走りすぎて膝を壊すようなこともなく、各種目半分以下しかやらないので飽きることもありません。
そしてロングの魅力は、あの非日常的世界にあります。
1日中何も他の事を考えずに、スタートしたらゴールを這ってでも目指す・・・馬鹿みたいな世界ですが、こんなにシンプルな目的ってないですよね。

トライアスロンの練習は、大好きです。明日が休みだと思うと、どこまで走りに行こう・・と思うだけで楽しくなります。
休日をだらだらと過ごすなんてもったいなくて仕方ありません。
もちろん寄る年波には勝てず、練習したくない時も沢山あります。その時は素直に休みます。身体が嫌がっているのは、危険信号ですから。

女性であること、アスリートとして高齢であること、これはかなりのハンデーキャップではあります。
主婦として、母として、薬剤師として、そしてアスリートとしてひとつだけでも大変なのにバランスよくやれるな・・・と思われるかもしれません。
私は、その時その時に一番ベストな練習環境を考えて工夫してきたつもりです。
だからかなり練習時間も、やり方も変わってきています。でも一番のサポートは家族です。
私が、一生懸命に頑張ってきている姿を見せ続けることで家族の目が変わってきます。だからいつまでも手が抜けないのです。

但し、いい面もあります。男性と違って競争相手が少ないので、遅くても成績がいい事です。
何しろ、参加者が男性の1割位です。それだけ女性がやるのが難しい競技かもしれませんね。
そして、若い時にスポーツをしなかったおかげで限界がわからないのです。
練習を工夫したり、考えて試合を組み立てたりしたら、あまりタイムが落ちていません。
他の方が、年々力を落としているうちに雲の上の方と対等に勝負できるのも楽しい限りです。

もう還暦近くでトライアスロンをやり続けていると皆さんは特別の人だと思っているようですが、トライアスロンは私の履歴をみると誰にでもやれるはずです。
問題は、もう歳だと思わない事、続けてさえいれば体力は落ちないと思います。
スピードは確かに落ちますが、持久力は持ちこたえる事は出来ます。
以前のように激しい練習はできなくなりましたが、体力は、仕事をしている上にも、今でも年下の同僚よりはるかにタフです。
そして何よりあのキツイ試合に耐えられると思うと精神的にもタフになります。

トライアスロンは楽しい。誰にでもできる、何時からでもできる、何時までもできる競技・・というのが私の持論です。